少し前の話だが,ある会合の懇親会で,IT系ベンチャー企業の社長をしている山村氏(仮名)と話す機会があった。
山村氏は40歳を少し超えたくらい。大学を卒業後,営業の仕事を中心に転職を繰り返していくつかの企業を渡り歩き,現在は自分の会社を立ち上げて社長を務めている。
筆者との会話は、最初は当たりさわりのない話題だったが,だんだんキャリアアップや能力アップの話題に移っていった。山村氏は自分のスキルとキャリアで世を渡ってきた種類の人間であり,スキルやキャリアに対して強い自負やポリシーを持っている。最後はこれらについて熱く語っていた。
山村氏は筆者にどのようなことを話したのか。主張をまとめると,以下のようになる。
・ビジネスパーソンが,仕事を通じてどのような能力(知識やスキル)を身に付けていくかが,後のキャリア形成を大きく左右する。どうせなら,今後のキャリア形成において有利な能力を習得すべきだ。
・能力には,(1)特定の会社,業界,組織でしか通用しない能力と,(2)会社,業界,組織を問わず,どこでも通用する能力の2種類がある。(1)よりも(2)を高いレベルで身に付けることが,キャリアを形成する上で有効だ。
・自分の経験では,(1)を重視し,(2)を軽視してきた人間は,転勤あるいは転職,独立した時に苦しむことが多い。(2)を高いレベルで身に付けてきた人は,転勤や転職,独立した場合でもうまく仕事を進められるケースが多い。
・頻繁に転勤や転職を繰り返したり,起業家として生きていこうと考えている場合には,(2)を磨くことが重要である。雇用がさらに不安定になってくる今後を考えると,その必要性はますます高くなるに違いない。
山村氏がキャリアアップやスキルアップに対して,どれだけ強い関心と意欲を抱いているかが分かるだろう。
もちろん,ビジネスパーソンの誰もが「いつかは自分の会社を持ち,経営者として活動したい」と考えているわけではない。その点を差し引いても,山村氏の考え方は大いに参考になる。
どうせ身に付けるのであれば,「特定の会社,業界,組織でしか通用しない」能力よりは,「どこでも通用する」能力を習得すべきだ。山村氏の主張に,筆者も同意する。
特定の会社でしか通用しない「社内政治力」
特定の会社,業界,組織でしか通用しない能力とは,「ある特定の会社や組織でしか通用しそうにない,使える範囲が限定されそうな基礎・応用能力」を指す。「ある会社オリジナルの商品に関する知識や商品を売るスキル」から,「会社や組織の派閥間の独自調整能力」のようなものまで、その範囲は広く多岐にわたる。
特に後者の能力は「社内政治力」などと呼ばれ,ある会社内では出世に必要かもしれないが,社外ではまったく通用しない能力の典型例と言える。
その一方で,会社,業界,組織を問わず,どこでも通用すると思われる能力がある。たとえば,「仕事を頼む」「交渉する」「文章を書く」のといった基礎的な仕事力は,どんな会社でも,どんな業界でも,どんな組織でも必要である。これらがうまくできれば,仕事の生産性は非常に高くなる。
このような能力は,特定の会社や組織,業界で有効なのはもちろん,それ以外の会社,組織,業界でも通用する。社内でも社外でも使えるのだから,身に付けると非常に便利な能力なのである。
今回からの連載では,「どの会社でも通用する」仕事術として,私が身に付けてきたことを説明していきたい。
教えるための9つのコツ
私は会社員として20年,教育コンサルタントとして10年を過ごしてきた。その中で,「この能力を身に付けてよかった」と思えるものは,以下の7つの能力である。
・マネジメント
・仕事を頼む
・交渉する
・文章を書く
・褒める
・叱る
このうち「文章を書く」は,前回までの連載「10年後も通用する文章術」で説明したので,今回からは他のものを説明していくことにする。
最初に「教える」をテーマにしたい。詳しくは次回に説明するが,予告編として「教える」に関する9つのコツを紹介しておく。
(2)最初に「できない」ことを自覚してもらう
(3)途中や最後にテストや発表などの「アウトプット」を必ず絡める
(4)教える前にミッションを与える
(5)理解を深めるためにたくさん質問する
(6)教えたことを整理して他のメンバーに教えてもらう
(7)「なぜ,そうなっているか」の理由を徹底的に考えてもらう
(8)考えさせたことは,紙に書いてもらう
(9)短い時間でもいいので毎日継続的に教える
次回は「教える」と「マネジメント」を説明していこう。なお,この連載と連動したスキルアップ記事を「キャリア・バー」という筆者のWebサイトで掲載している。よろしければご覧いただきたい。
<お知らせ>著者の書籍「1億出してもほしい人―どこでも通用する「7つの能力」を身につける!」が発売されました。どこでも通用する仕事をするためのスキルセットやマインドセットを説明します。物語性を持たせて,理解していただきやすくしました。よろしければ,お読みください。
前回は,仕事の技術には「ある特定の会社や組織でしか通用しないもの」と「どこの会社や組織でも通用するもの」があり,雇用が不安定になってくるこれからの世の中を考えれば,後者の仕事術すなわち「どの会社でも通用する仕事術」を身に付けたほうがよいという話をした。
今回から,どの会社でも通用する仕事術を構成する「7つの力」を具体的に説明していく。7つの力は以下の通りである。
(2)マネジメント
(3)仕事を頼む
(4)交渉する
(5)文章を書く
(6)褒める
(7)叱る
このうち,(5)の「文章を書く」は連載「10年後も通用する文章術」で詳細に説明した。この連載では残りの6つについて解説していく。
今回は(1)の「教える」を取り上げる。前回,(2)のマネジメントも取り上げると予告したが,マネジメントについては次回に触れることにしたい。
「教える」力がもたらす5つのメリット
「教える」力を身に付けるコツを説明する前に,なぜこの力を習得したほうがよいかに触れておこう。教えることが嫌いだったり,教えることの大切さを理解していない人が,上手に教えることなどできるはずがないからである。
教えるという行為に,ネガティブな感情を持つ人は案外多い。「自分の時間を他人に取られる割に,自分のメリットにならない」と考えているからだろう。
筆者はそうは思わない。他人に教えるという行為は,教える側にとっても非常に大きなメリットがある。筆者は20年にわたるビジネス現場で,このことを体感してきた。
具体的にどのようなメリットがあるのか。以下の5点にまとめることができる。
(b)信用・信頼される
(c)周囲から「仕事ができる」と思われる
(d)自分の理解が深まる
(e)自分一人で仕事をしなくてすむ
順に説明しよう。
(a)長く感謝される
教えた人が思う以上に,教えられた人は「教えてもらったこと」を感謝するものだ。何年たっても感謝の気持ちが消えないケースも少なくない。教えた人がピンチの時に,教えられた人から助けてもらえることも多々ある。
筆者は会社でエンジニアの教育も担当したので,多くの人にいろいろな仕事を教えていた。今でもその人たちから感謝されている。仕事上で,彼・彼女らに無理なお願いをしても前向きに対応してくれるので,非常に助かっている。
(b)信用・信頼される
感謝されるとまではいかない場合でも,教えることで信用や信頼を得る効果がある。人は自分の知らないことや出来ないことを教えてくれる人を信用・信頼するという心理的特性があるようだ。
特に社外の取引先の担当者や役職者と短い期間で人間関係を作る必要があるときに,教えるという手段は有効に働く。先方から質問されたり,教えてほしいと頼まれたら,差し支えがない限り積極的に教えるように努めてみよう。これが良好な関係を築くコツである。
(c)周囲から「仕事ができる」と思われる
他人にバリバリ教えている姿は,周囲から「できる人」と思われるものだ。部下や同僚,取引先の担当者だけでなく,上司にさりげなくカッコ良く教えることで,「頭がよい」というイメージを周囲に持たせることができる。当然,こういう人は人事考課上も高く評価される(人事考課では,どの会社でも「育成能力」の項目が必ずある)。
(d)自分の理解が深まる
教えることで,あいまいだった自分の理解が深まるという効果もある。人の脳は,情報を収集する時よりも,アウトプットする時のほうが,より「動く」ものだ。自分の理解が深まると,様々なメリットがあるのは言うまでもない。
(e)自分一人で仕事をしなくてすむ
「仕事を他人に教えるのが面倒なので,つい自分でやってしまう」というリーダーがいる。確かに,人に教えるのは時間も手間もかかる。しかし,いつまでもその状態のままだと,自分で出来る分量しか仕事ができないことになる。部下やチームメンバーも育たず,自分がいつまでも苦しいだけだ。
リーダーが教える力を身に付けて,メンバーに同じ質の仕事をさせることができれば,自分一人で仕事を背負わなくてもすむようになる。仕事を大人数で分担して進める場合でも,担当者それぞれの仕事のアウトプットの質が均一になるので,チームで対応できるのである。
筆者がチームリーダーに任命されると,まず仕事のルールを定義して,メンバーに対して徹底的に教える。1カ月くらい経つと,メンバーは次第に筆者と同じように仕事ができるようになる。そうなれば,筆者はすべてに関与しなくてすむので,その分,別の新たな取り組みに自分の時間を使うことができる。
以上のメリットがあるため,筆者は自分が知っていることや出来ることを,可能な限り教えるようにしてきた。仕事全体がうまく進むからである。
正しく教える9つのコツ
ここまで分かったところで,正しく教えるための9つのコツを説明したい。
(2)最初に「できない」ことを自覚させる
(3)途中や最後にテストや発表などの「アウトプット」を絡める
(4)教える前にミッションを与える
(5)たくさん質問する
(6)自分が教わったことを整理して他のメンバーに教えてもらう
(7)「なぜ,そうなっているか」を徹底的に考えさせる
(8)考えたことを紙に書かせる
(9)毎日継続的に教える
(1)教える前に「なぜ学ぶのか」を伝えて考えさせる
脳科学者によると,「脳は目的を強く意識することで活性化する」そうだ。確かに,「絶対試験に合格したい」「覚えないと落第する」などの目的がある場合とない場合を比べると,前者のほうが学習効果が高くなることを我々は経験的に知っている。
教える側はまず,本人に「なぜ学ぶのか」を正しく伝えなければならない。それをせずに一方的に教えても,効果は上がらないからだ。
筆者は部下に対し,「なぜ仕事術を学ばなければならないのか」「学ばないとどんなデメリットがあるか,学ぶと何がよいか」「こんな仕事術を使って,こんな成功をした」などと,問いかけを交えつつ話をしている。こういう地道な作業で,学習効果は非常に高まるものだ。
(2)最初に「できない」ことを自覚させる
新しいことを教える場合には,学ぶ側に「それが自分には『できない』という自覚」を持ってもらう必要がある。自分ができることは他人に教えてもらう必要がないので,どうしても心理的に反発してしまい,学習意欲が下がるからだ。
そこで,「できない」ことを自覚させるための工夫が必要になる。例えば,最初から教えようとせず,まずは本人のやりたいように仕事をさせてみよう。その上で「失敗した時」「うまくいかない時」を見計らって,教えるのだ。
ただし,失敗すると取り返しがつかない重要な仕事で,これを試すことは避けるべきだろう。大きな失敗をするとトラウマ(心の傷)になり,以降,何でも恐れるようになってしまいかねない。
(3)途中や最後にテストや発表などの「アウトプット」を絡める
理解したり記憶したりするためには,「アウトプット」が欠かせない。一度聞いた話をアウトプットするために,脳は一生懸命記憶を定着させる。新しい記憶は既存の記憶と組み合わさり,ひらめきをもたらす。
教える時は,テスト,理解した成果の発表会,質問会といったアウトプットの場を設けるのが望ましい。それが脳へのプレッシャーになり,学習効率が高まるはずだ。
(4)教える前にミッションを与える
意味は(1)と同じである。「教わったことを使って,何かをしなくてはならない」という明確なミッション(目的)があれば,人は一生懸命理解しようと努める。ミッションが明確でないと,目的意識がどうしても低くなり,教わったことを必死で覚えようという意欲がわきにくくなる。
たとえば,「チームリーダーになってメンバーを率いる」などとミッションを明確に与え,そのために必要なことを教えるといった具合に進める。
(5)たくさん質問する
学習効果を高めるためには,うまく質問をすることが欠かせない。質問に答えることで,脳は記憶を定着させようとするからである。「なぜ,そうなっているのか」「それがない場合はどうなるのか」「なぜ,その仕組みが必要だったのか」といった質問を繰り返すことで,理解につながっていく。
(6)自分が教わったことを整理して他のメンバーに教えてもらう
教えるメリットの「(d)自分の理解が深まる」で説明したように,脳はアウトプットの際に記憶を整理して定着させる。このため,学んだことを他人に教えるのは記憶を定着させるために効果的な方法といえる。
(7)「なぜ,そうなっているか」を徹底的に考えさせる
(1)で挙げたように,脳は目的を強く意識することで活性化する。このため,「どうしてそうなのか」を考えながら理解させる必要がある。
(8)考えたことを紙に書かせる
これもアウトプットによる学習効果の一つだ。テキストを読んだり,単に聞くだけでは理解は深まらない。読んだこと,聞いたことを頭で考えてもらい,さらにそれをホワイトボードや紙に整理してもらうようにするとよい。
筆者のチームには机とイスの横にホワイトボードを3つ設置している。仕事のやり方を教えるときは,ホワイトボードの前にメンバーを集めて説明する。その後で,メンバーに理解したこと,考えたことを書いてもらうようにしている。
(9)毎日継続的に教える
教える行為は,短い間隔で定期的に実施しよう。1日や2日を丸々費やして教えても,あまり効果は上がらない。考えたり,理解したりする行動が習慣化されないからである。
これらを習慣化するためには,毎日継続して教える必要がある。それによって新しい知識や仕事のやり方に慣れていく。毎日5分でもいいので継続的に教えるよう心がけたい。
◇ ◇ ◇
次回は,(2)のマネジメントについて説明する。なお,この連載と連動したスキルアップ記事を「キャリア・バー」という筆者のWebサイトで掲載している。よろしければご覧いただきたい。
<お知らせ>著者の書籍「1億出してもほしい人―どこでも通用する「7つの能力」を身につける!」が発売されました。どこでも通用する仕事をするためのスキルセットやマインドセットを説明します。物語性を持たせて,理解していただきやすくしました。よろしければ,お読みください。
前回は,どの会社でも通用する仕事術を構成する7つの力のうち,「教える」をテーマに9の重要項目を説明した。7つの力は以下の通りである。
(2)マネジメント
(3)仕事を頼む
(4)交渉する
(5)文章を書く
(6)褒める
(7)叱る
「教える」力は,どの職場でも必要であり,身につけると非常に有利になる。ぜひ,実際に試していただきたい。
今回は,2つめの「マネジメント」を取り上げる。これも,どの会社でも使える重要な仕事術である。ここでは,マネジメントを「チームでの協業作業や関係者に依頼した作業などの仕事を進めるために行う管理作業」と定義する。例えば,仕事の目標設定,作業の定義と責任分担,進捗確認などが該当する。以下,この前提で説明を進めていく。
仕事がうまく行かない人は「ネガティブ特性」を持つ
筆者は,会社で教育担当を長く務めている。10年前からは教育コンサルタントの仕事もしている。このため,以前から仕事上の悩み相談を受ける機会が多かった。
筆者に相談を持ちかける人のほとんどは,仕事がうまく行かないことに悩んでいる。そうした人たちの話を聞いたり,仕事のレビューをしていくうちに,彼ら・彼女らが共通する特性を持つことに気付いた。「やることが雑」「約束を守れない」「理解が浅い」「早合点」「あきらめが早い」「細かいことに頓着しない」といったものだ。
これらは,仕事にマイナスの影響を与える特性と言える。社会人生活が長かったり,部下を指導した経験が多い人であれば,このことをお分かりいただけると思う。
筆者は,こうした特性を「ネガティブ特性」と呼んでいる。ネガティブ特性を持つ人から相談を受けた場合は,出来るだけ早く矯正した方がよいとアドバイスするよう心がけている。
読者の中には,「ネガティブ特性が,常に仕事に悪影響を与えるわけではないのでは」と考える方がいるかもしれない。例えば「細かいことに頓着しない」という特性は,「さっぱりとした性格」「ネチネチしない」という仕事にプラスの影響を与える「ポジティブ特性」にもなり得る。
しかし筆者の経験で言えば,仕事が成功するかどうかは多くの場合,「約束を守る」「早めに動く」「粘る」「慎重に考える」といったネガティブ特性とは逆の特性をもつ人が適切に動くかどうかにかかっている。仕事を成功させるためには「ネガティブ特性を持たないメンバーをいかに集めるか」がカギを握ると,筆者は考えている。それが無理なら「ネガティブ特性」を排除するよう指導しつつ,正しくマネジメントを進めるようにしている。
ネガティブ特性がマネジメントの緩さにつながる
「約束を守らない」「忘れっぽい」「理解が浅い」「表面的に解釈する」といったネガティブ特性を持つ人が仕事をマネジメントすると,必ずといってよいほど仕事が遅れたり,仕事の品質が悪くなったりする。例えば,他部門に仕事を依頼した場合に「いつまでに」「どのような形式で」「どんなレベルで」などを明確に告げずにあいまいに依頼してしまい,成果物の質が悪くて役に立たない,といったことが起こる。
これは,依頼する側,つまりマネジメントする側の仕事が“緩い”からである。ここでいう緩いとは,しっかりしていない,押さえが効いていないという意味だ。筆者は緩いマネジメントが仕事を失敗させる大きな原因だと考えており,これをいかに撲滅するかを強く意識して行動している。
緩いマネジメントを防ぐには,どうすればいいだろう。筆者は,緩いマネジメントを排除するための習慣を8つにまとめ,チームメンバーや部下に徹底している。
(1)設定した目標を安易に下げない
(2)どの作業を誰の責任で行うかを常に明確にする
(3)本当の進捗状況が分かるように具体的に質問する
(4)問題を正しく認識できる聞き方をする
(5)状況把握と問題解決の話し合いを一緒にしない
(6)問題を正しく特定する
(7)問題や作業遅れが生じたときに,いつまでに対応するかを日付単位で管理する
(8)解決策を関係者で共有する
順に見ていこう。
(1)設定した目標を安易に下げない
人は,自分の設定した目標が「とても達成できそうにない」と感じると,その目標を安易に下げてしまいがちだ。この状態を放置しておくと,すぐに「難しい」「解決できない」と思い込み,目標を下げて妥協する癖がついてしまう。
「問題は必ず解決できる」と強く意識するよう,メンバーに対し,そして何より自分に対して徹底させたい。
(2)どの作業を誰の責任で行うかを常に明確にする
「誰が,いつまでに作業をするのか」という作業責任をあいまいにすると,仕事は進まない。誰に何の責任があるかを明確にしておこう。
(3)本当の進捗状況が分かるように具体的に質問する
作業の進捗を確認する際は,具体的に何がどうなっているのかを確認していく。こうすることで,本当にできているのか,できていないかが分かる。
(4)問題を正しく認識できる聞き方をする
問題が発生した際,当事者への確認の仕方が悪いと正しく問題を把握できない。「何が問題なんだ? 何をやっていたんだ!」などと高圧的に聞くと,メンバーは萎縮してしまい,真実を話さなくなってしまう可能性がある。
(5)状況把握と問題解決の話し合いを一緒にしない
状況把握はスピード重視で,事実情報の収集が中心となる。まず,状況をしっかりつかみ,それとは別に問題解決に向けた話し合いをする必要がある。
(6)問題を正しく特定する
何が原因なのか,何がまずいのかを正確に把握しないと,問題解決の方向性がずれてしまう。大事なのは,正しく問題をつかむことだ。
(7)問題や作業遅れが生じたときに,いつまでに対応するかを日付単位で管理する
一度解決しようとしてできなかったり,そもそも問題の解決が難しかったりすると,対応がズルズルと遅れてしまう恐れがある。これを防ぐには,誰の責任でいつまでに何をするのかを明確に管理しなければならない。
(8)解決策を関係者で共有する
考えた解決策をマニュアル化したり,ルール化することで,共有ノウハウとして次回以降も使えるようにする。このように運用すれば,ノウハウが増えて問題解決が容易になる。
ここで挙げた8の習慣は,どれも当たり前で簡単なことばかりだという印象を持つかもしれない。しかし実際には,多くの人が実務では出来ていないのである。
これだけのことがいつでも,誰に対してでも正しくできれば,マネジメント能力は高まり,緩いマネジメントから脱却できる。ぜひ,習慣にしてほしい。
次回は7つの力の3つめに当たる「仕事を頼む」を紹介する。なお,この連載と連動したスキルアップ記事を「キャリア・バー」という筆者のWebサイトで掲載している。「8つの習慣」のチェックリストも用意しているので,よろしければご覧いただきたい。
前回は,どの会社でも通用する仕事術を構成する7つの力のうち,(2)のマネジメントをテーマに8の重要項目を説明した。7つの力は以下の通りである。
(2)マネジメント
(3)仕事を頼む
(4)交渉する
(5)文章を書く
(6)褒める
(7)叱る
マネジメント力はどの職場でも必要であり,上司やリーダー,マネジャーを務める上で非常に役立つ。ぜひ,実際に試していただきたい。マネジメントに関しては,筆者のWebサイトの読み物やチェックリストを併せてご覧いただきたい。
今回は,3つめの「仕事を頼む」を取り上げる。これも,どの会社でも使える重要な仕事術である。特に仕事が高度になればなるほど,他人の力が必要になる。
部下に対してであれば,自分の命令で動く人への依頼なので,それほど難しくはない。難しいのは,自分の命令権の及ばない人への依頼である。他部門の人,取引先,友人など,命令権の及ばない人にどれだけうまく仕事を依頼できるかが,仕事の成否に大きく関係すると筆者は考えている。
ここでは依頼を,「部下以外の仕事の関係者に対して,必要な作業を頼むこと」という意味で使う。法務部門に契約書をチェックしてもらう,経理部門に支払いをお願いする,などが該当する。以下,この前提で説明を進めていく。
事例:仕事の依頼が下手な人
まず,仕事の依頼が下手な人の例を挙げよう。
先日,筆者の部下である係長の加藤(仮名)が相談にきた。加藤の下にいる山崎(仮名)の仕事振りについて,アドバイスを受けたいということだった。
筆者はシステム企画部門の課長で,システム計画,上流設計,プロジェクトマネジメントなどを担当している。だが日常的な仕事の多くは,加藤に権限を委譲している。山崎は,この春転勤してきた30歳になる中堅社員で,これまではシステム開発を担当してきた。
山崎も筆者の部下である。ただ,山崎と筆者は年がずいぶん離れていることもあって,今までは直接山崎の仕事ぶりを見る機会はなかった。
加藤は筆者に対し,「山崎の仕事振りを一度見てほしい」と依頼してきた。筆者は,加藤と山崎との打ち合わせに参加することにした。
山崎:…まだ,やっていません。依頼内容が確定していないので,まだ,依頼までは…
加藤:それはダメだろう。遅くなると,先方の作業時間がなくなってしまうじゃないか。
山崎:それは,そうですけど…会社でみんな一緒に仕事している以上,会社が必要と判断した仕事は,どんなに依頼が遅れてもやるべきではないですか。
加藤:それは正論かもしれないけど,他の部門も忙しいのだし,正論だけではなかなかうまくいかない。必ず先に依頼しておかないとダメだ。依頼内容を詳細に書くことも必要だよ…
2人のやり取りを聞いて,筆者は加藤の悩みを理解した。山崎は「仕事の依頼が下手」なのだ。山崎がこれまで担当してきたのは,部門間の調整をあまりしなくてもよい仕事がほとんどだった。「仕事を依頼する」能力が低いのも無理はないと,筆者は感じた。
筆者は20年にわたり,プロジェクトマネジメントやシステム企画の際の意見調整を担当してきた。その中で,もっとも難しかったのは筆者が命令権を持たない人たちに対して,仕事を頼むということだった。試行錯誤の上,この能力を身につけてからは,「これ以上便利で役立つ能力はない」と思うようになった。
そこで筆者は山崎に対し,「仕事を依頼する」にはどうすればよいかを,自分の経験を踏まえて話すことに決めた。以下はその内容である。
依頼上手と下手には明確な違いがある
筆者は長い社会人経験のなかで,仕事を「依頼する」ことも「依頼される」ことも数え切れないほどあった。
特にプロジェクトマネジメントを担当する場合は,うまく仕事を依頼できるかどうかが成否を大きく左右するものだ。システム開発のプロジェクトでは,メインのベンダー,協力会社,ハードメーカー,顧客側の担当者などステークホルダー(利害関係者)が非常に多い。これらの人たちに適切に必要な依頼をしなくてはならないのである。
こうした経験を積むなかで,次第に「依頼がうまい人」と「下手な人」の違いが分かるようになってきた。筆者はあるときから,依頼上手と依頼下手の違いを整理して人に教えている。その違いは,以下の7つにまとめることができる。
<その1>
依頼上手:普段から依頼先に「貸し」を作っている
依頼下手:依頼が必要になったときだけ「助けてほしい」と頼む
<その2>
依頼上手:依頼内容が分かりやすく明確
依頼下手:依頼内容が分かりにくく不明確
<その3>
依頼上手:「依頼する理由」の納得感が高い
依頼下手:「依頼する理由」がないか,あっても納得感が低い
<その4>
依頼上手:できるだけ早くから依頼する
依頼下手:直前に思いついたように依頼する
<その5>
依頼上手:依頼先にメリットがあるように「お願い」する
依頼下手:自分のメリットや都合ばかりを「優先」する
<その6>
依頼上手:依頼完了時には厚くお礼を言い,その後もずっと感謝する
依頼下手:完了時のお礼の言葉がないか,あってもその後に感謝の気持ちが続かない
<その7>
依頼上手:依頼を受けてもらったら,何かできることを返す
依頼下手:依頼を受けてもらっても,受けっぱなしである
前回は,どの会社でも通用する仕事術を構成する7つの力のうち,3つめの「仕事を頼む」を説明した。7つの力は以下の通りである。
(2)マネジメント
(3)仕事を頼む
(4)交渉する
(5)文章を書く
(6)褒める
(7)叱る
どの仕事でも,必ず人に何らかの依頼をしなければならない。特に大きな仕事を進めていくためには,前回紹介した仕事術が非常に役立つ。ぜひ,実際に試していただきたい。筆者のWebサイトの読み物やチェックリストも併せてご覧いただきたい。
今回と次回は,4つめの「交渉する」を取り上げる。これも,どの会社でも使える重要な仕事術である。今回は「立場の上の人を動かす」交渉術をテーマにしたい。なぜそれが重要なのかを理解していただくために,まず筆者の経験を紹介しよう。
「人柄が良い」PMほど壊れていく
先日,A社の中堅PM(プロジェクト・マネジャー)を務める斉藤氏(仮名)が,教育コンサルタントである筆者のところに来た。A社は数社とシステムを共同化するプロジェクトを進めようとしており,斉藤氏はPMに就任する可能性が高いと言う。「システム共同化プロジェクトにおけるマネジメントに関してアドバイスが欲しい」というのが斉藤氏の依頼だった。
斉藤氏は38歳で,社内のシステム開発でPMを何回も担当した経験を持つ。話をしてみると非常に聡明で,システム開発の知識も確かだと感じた。人も良くて,人物としても問題ないとの印象を抱いた。
しかし,斉藤氏がこのままシステム共同化プロジェクトのPMを務めるのは難しいと,筆者は感じた。システム共同化をはじめとする「システム統合」のマネジメントでは,人柄の良さが裏目に出るケースが多いからだ。
筆者はかつて,7社が参加するシステム共同化のプロジェクトスタッフを1年半,担当した。このプロジェクトは,7社で同じシステムを共有して,コストを大幅に削減するのが狙いだった。そのために7社が出資して新たにシステム運用会社を設立し,運営することにした。
7社は新会社に業務を委託し,それぞれ委託料を払う。システムとしては,1社の販売管理システムに6社の販売管理システムを片寄せする形を採った。つまり,残るのは1社のシステムだけで,6社のシステムは消えることになる。
複数社によるシステム統合を経験した方は分かると思うが,片寄せのシステム統合では大きくもめることが多い。理由は大きく二つある。まず,システムが消える側の会社が「ウチのシステムが持っていた機能を残せ」と主張する場合が多いこと。もう一つは,新システムに機能を追加する必要が生じた場合に,コスト負担をどうするかがなかなか決まらないことだ。
システム統合プロジェクトでは,この2点が常に混乱をもたらす原因になり,PMを苦しめる。「人柄がよい」と言われる人ほど,苦しむことになる。「機能を残せ」という要求されると,つい断わることができず,作業を調整しようとしてしまうからだ。
しかし,他の企業からは「そんな機能はいらない」と大反対されるのが常だ。機能を追加しても反対されるし,しなくても反対される。結局,何も進まない状態に陥ってしまう。
万事がこんな状態では,PMはいろいろな利害関係者にはさまれて,がんじがらめになる。このような状態で,筆者の周りの「人柄がよい」PMたちは心を壊して,何人も消えていった。筆者に相談に来た斉藤氏にも,同じ印象を抱いた。
「立場の上の人」との交渉術は究極の仕事術
では,人柄の良い人はシステム統合プロジェクトのPMを務めることが不可能なのか。必ずしもそうとは言い切れない。ただしそれを可能にするためには,「立場の上の人との交渉術」を身につけて,実践する必要がある。
仕事を行う上では,同じ部門の部下,上司,異なる部門の人,取引先,顧客などさまざまな立場の人を動かす必要があるのは言うまでもない。その中で,自分の部下や後輩といった「自分より立場が下の人」を動かすのは比較的簡単だ。上司のほうが部下より立場が強く,いざとなれば,力ずくでも動かすことができるからである。
問題は,顧客や上司,目上の人などの「自分よりも立場が上の人」をいかに動かすかだ。「上司が命令して部下を行動させる」のに比べると,「部下が自分の企画を上司に納得してもらう」のは容易でない。
立場の強い人と弱い人が仕事上で対立する場合,立場が強い人のほうが勝つ可能性が非常に高い。何も準備せず,自然体で臨めば,多くの場合は立場の弱いほうが負け,立場の強いほうが勝つということだ。
システム共同化プロジェクトでは,PMよりも他社の人たちのほうが立場は強い。そのままでは,必然的に立場の強いほうに負かされる。
しかし,立場が下の人が「立場の上の人を自由自在に動かす」交渉術を身につけたとしたら,どうなるだろう。システム共同プロジェクトのような困難な作業であっても,乗り越えられる可能性が高くなるはずだ。まさに「どの会社でも通用する」究極の仕事術といえる。
システム共同化のプロジェクトスタッフを務めていたころの筆者は,システムが存続する側のシステム部の中堅エンジニアで,政治的手腕や交渉力といったヒューマン・マネジメント能力はまだ身につけていなかった。このため,他の6社の企画部門や業務事務部門の課長や部長といった「自分より立場の上の人たち」から厳しい要求を出され,非常に苦しむことになった。
だが,プロジェクトスタッフを担当して半年くらい経つと,急激に交渉に強くなった。立場の上の人との厳しい交渉を繰り返す中で,多くの先輩やメンターに指導してもらいつつ,「立場が上の人に負けない」交渉術のスキルセットを整理し,試行錯誤しながら身につけていったからである。
その後,教育コンサルタントになった筆者は「ヒューマンスキル」や「ヒューマンマネジメント」の指導やコンサルティングを行うようになった。このときに,筆者がシステム共同化プロジェクトを通じて学んだ「立場の上の人との交渉術」を教えている。斉藤氏にも,この交渉術を伝えた。以下,そのエッセンスを紹介する。
「立場の上の人」に勝つための7ステップ
「立場の上の人を動かす」交渉術は以下の7つのステップで進める。
(b)多くの情報を収集する
(c)相手の主張,反論を予想する
(d)相手の主張,反論に「リバース」する話法,エビデンスを考える
(e)交渉シナリオを考える
(f)シナリオとおりに交渉する
(g)交渉を振り返ってブラッシュアップする
事例を使いながら説明しよう。まず,典型的な失敗事例を紹介しよう。
ユーザー企業のZ社のケース
Z社がシステムを開発するにあたり,システム部の山本主任(仮名)が,事務部門の高山課長(同)に要件定義を依頼した。山本主任は,他部門の課長クラスに仕事を依頼する経験が不足していた。
高山:その件ね。企画部からうちの部長に連絡があって,昨日部長から聞いたけど,うちの課にはノウハウもないし,そんなことをしている時間もない。だから絶対に無理だと言っておいたはずだ。要件定義って,うちの現業とはまったく違う仕事だよね。新しいビジネスやシステムが必要なのは分かるけど,我々は現業を抱えている。余計な仕事を抱えたせいで,現業をミスしたら困るだろう?
山本:でも,これは会社の決定です。販売業務部が作業しないというのは,会社の方針に反していると思うのですが…
高山:でも,我々には無理だよ。会社の決定かもしれないけれど,うちの部門でやると決まったというわけではないだろう?…そもそも,君たちはシステムを作るのが仕事だろう? だったら,システム部でやればいいんじゃないか。
山本:(やや興奮気味に)何を言っているんです? そちらでやるべきでしょう。システム部だけでは,とてもできませんよ。
高山:なんだ君は,ずいぶん高飛車な言い方なんだな。課長や部長には苦情を言っておくからな。とにかく,システム開発はシステム部がやるべきことだろう? そっちでやってくれ。
山本:でも…
高山:忙しいので,申し訳ないがこれで失礼するよ。
山本:…
結局,交渉は失敗に終わった。山本主任は高山課長に力負けして,まったく相手を動かせなかった。これでは仕事はいつまでたっても進まない。
なぜ交渉は失敗したのか
山本主任が勝てなかった原因を一口に言えば,交渉に対する認識が甘く,準備が不足していたからだ。筆者が交渉に勝てるようになったのは,この2点を真剣に考えることの重要性に気づいてからである。
山本主任は,
会社の今後の成長シナリオに貢献する案件なので,販売業務部に要件定義を行っていただく必要があります。
と「当然あなたの組織が要件定義をすべきだ」と正論の主張をしている。しかし,高山課長に
・うちの課にはノウハウもないし,そんなことをしている時間もない。だから絶対に無理だと言っておいたはずだ
・要件定義って,うちの現業とはまったく違う仕事だよね。
・我々は現業を抱えている。余計な仕事を抱えたせいで,現業をミスしたら困るだろう?
・そもそも,君たちはシステムを作るのが仕事だろう? だったら,システム部でやればいいんじゃないか。
と反論されている。これに対し,山本主任は
でも,これは会社の決定です。販売業務部が作業しないというのは,会社の方針に反していると思うのですが…
とまた同じ主張を繰り返している。これでは先に進まない。
議論を前進させるためには,相手の主張を論理的,感情的にリバース(応酬)していかなくてはならないのだ。山本主任は,これができていない。「会社の今後の成長シナリオに貢献する案件なので」という理由は正論であり,重要なミッションかもしれないが,それで誰でも「はいそうですか,やります」と説得できるわけではない。
人は誰でも自分の都合を優先しがちである。この点を意識しておく必要がある。そうすれば,高山課長が「現業が忙しく,要件定義はできない」と主張することを予想し,その反論を準備しておいて,高山課長の主張にリバース(応酬)できる。
ところが山本主任は,相手の考えを予想するための情報収集をしていなかった。これでは相手の主張を予想できず,当然,それに対する反論も用意できない。つまり準備不足だ。前で説明したように,準備せずに交渉に臨めば,立場の弱いほうが負けるのは当然である。
では,どうしたら「立場の上の人を動かす」ように交渉できるのか。交渉に関する「認識の甘さ」を排除し,交渉に勝つために「必要な準備をする」ことが大切だ。高山課長の反論それぞれを事前に予想して,「リバース話法」すなわち,相手の反論に対する応酬するための話法を考えておく必要がある。これができていないから勝てないのだ。
次回,7つのステップを使いながらそのやり方を説明したい。交渉術については,日経SYSTEMSの連載「今日から使える現場の説得・交渉術」も併せて参照していただきたい。この連載と連動したスキルアップ記事を筆者のWebサイト「キャリア・バー」に掲載している。こちらもご覧いただきたい。
前回は,どの会社でも通用する仕事術を構成する7つの力のうち,「(4)交渉する」の前編を説明した。7つの力は以下の通りである。
(2)マネジメント
(3)仕事を頼む
(4)交渉する
(5)文章を書く
(6)褒める
(7)叱る
特に立場の上の人との交渉術を身につけることは,大きな仕事を進めていくために非常に役立つ。前回は以下の内容を説明した。
・自分の部下や後輩といった「自分より立場が下の人」を動かすのは,それほど難しくない。立場が強い方(例えば,上司)は,弱い方(例えば,部下)をいざとなれば力ずくで動かすことができるからだ。
・これに対し,顧客や上司,目上の人などの「自分より立場が上の人」を動かすのは難しい。「部下が自分の企画を上司に納得してもらう」のは,「上司が命令して部下を行動させる」よりも困難である。
・立場の強い人と弱い人が仕事で対立した場合,立場の強い人が勝つ可能性は非常に高い。立場の弱い人が何も準備せず,自然体で臨んだとしたら,ほとんどの場合は立場の強い人に勝てない。
・「立場が上の人」を自由自在に動かせる能力があれば,仕事でこれほど役に立つものはない。
立場が上の人を自由自在に動かすための仕事術が,「交渉を成功に導く7つのステップ」である。今回は,事例を使って7つのステップを説明することにしよう。
業務部門の課長を説得できず
7つのステップの説明に入る前に,交渉が失敗に終わった事例を再度掲載する。この事例では,あるユーザー企業Z社がシステムを開発するにあたり,システム部の山本主任(仮名)が,事務部門の高山課長(同)に要件定義を依頼した。山本主任は,他部門の課長クラスに仕事を依頼した経験があまりなかった。
高山:その件ね。企画部からうちの部長に連絡があって,昨日部長から聞いたけど,うちの課にはノウハウもないし,そんなことをしている時間もない。だから絶対に無理だと言っておいたはずだ。要件定義って,うちの現業とはまったく違う仕事だよね。新しいビジネスやシステムが必要なのは分かるけど,我々は現業を抱えている。余計な仕事を抱えたせいで,現業をミスしたら困るだろう?
山本:でも,これは会社の決定です。販売業務部が作業しないというのは,会社の方針に反していると思うのですが…
高山:でも,我々には無理だよ。会社の決定かもしれないけれど,うちの部門でやると決まったというわけではないだろう?…そもそも,君たちはシステムを作るのが仕事だろう? だったら,システム部でやればいいんじゃないか。
山本:(やや興奮気味に)何を言っているんです? そちらでやるべきでしょう。システム部だけでは,とてもできませんよ。
高山:なんだ君は,ずいぶん高飛車な言い方なんだな。課長や部長には苦情を言っておくからな。とにかく,システム開発はシステム部がやるべきことだろう? そっちでやってくれ。
山本:でも…
高山:忙しいので,申し訳ないがこれで失礼するよ。
山本:…
結果的に,山本主任は高山課長を説得するのに失敗した。山本主任は,この交渉をどう進めればよかったのだろうか。
交渉の基本ステップ
筆者の考える交渉の技術は,以下の(a)から(g)までの7ステップで構成する。
(a)基本スタンスを理解する
(b)多くの情報を収集する
(c)相手の主張,反論を予想する
(d)相手の主張,反論に「リバース」する話法,エビデンスを考える
(e)交渉シナリオを考える
(f)シナリオとおりに交渉する
(g)交渉を振り返ってブラッシュアップする
(必要に応じて,(b)から(g)を繰り返す)
順に説明しよう。
(a)基本スタンスを理解する
交渉ごとには,押さえておくべき基本的な心構えが存在する。この心構えをここでは「基本スタンス」と呼ぶ。基本スタンスを正しく理解することが,交渉を成功に導く最初のステップとなる。
交渉に関する基本スタンスとして最も重要なのは「対立構造を作らない」というものである。相手の発言に対して直接的に反論するのでなく,「相手を怒らせないように反論する」ことが大事だ。交渉の場で相手と対立すると,感情的な原因で話がこじれてしまい,議論が先に進まなくなってしまうからである。
対立構造を作らないためのやり方はいくつかある。相手を怒らせない,ソフトな言い方である「温和話法」を使う,あるいは「できません。なぜなら」というNo Because(拒否-->否定の理由)ではなく,「おっしゃる通りです。ただ少し問題が」というYes But(同意-->調整)を使う,といった方法をとると効果的だ。ほかに,相手に好感を持ってもらうための行動や話法が必要になる。
(b)多くの情報を収集する
交渉する際には,相手のニーズや立場・スタンス,相手が何を考えているか,さらに周囲の見方や世論に関する情報を,なるべく多く収集する必要がある。これらの情報が,(e)で交渉シナリオを作成する際の基となる。
今回の事例では,山本主任は
・先方(高山課長)は,自分の課が忙しいと考えている
・要件定義を自分たちの組織で担当することに,あまり乗り気でない
・要件定義という作業のことをあまり知らない
・要件定義はシステム部門がやるべきだと思っている
といった情報を冷静に収集する必要がある。
(c)相手の主張,反論を予想する,(d)相手の主張,反論に「リバースする話法,エビデンスを考える,(e)交渉シナリオを考える
十分に情報を収集したら,次にやるべきは相手の主張を予想することだ。今回は,既に相手の主張とその理由は分かっている。
・(主張1)要件定義はできない
-->(理由)人がいないし,忙しい
・(考え1)システム構築は必要だと思っている
--> (理由)会社が決定したことだから
・(主張2)システム開発が必要なら,システム部門がやればよい
--> (理由)要件定義もシステム作業の一つだから
高山課長は,次回の交渉でも同じ主張を繰り返す可能性が高い。考えを変えていない以上,今度は何を主張し,どう反論してくるかはほぼ予想がつく。そこで山本主任は,先方の主張に対する反論(リバース)を考えて準備しておけばよいことになる。
・(主張1)要件定義はできない
--> (理由)人がいないし,忙しい
--> (リバース)要件定義は現実に事務を担当している人しかできない。他にできる人がいるなら,教えてほしい(実際にはそんな人はいない)
・(考え1)システム構築は必要だと思っている
--> (理由)会社が決定したことだから
--> (リバース)それなら,我々と協力して進めるしかない。仲よくやっていくことが会社のためになる
・(主張2)システム開発が必要なら,システム部門がやればよい
--> (理由)要件定義もシステム作業の一つだから
--> (リバース1)システム部門は詳細な業務知識を持っていない。事務を決める職務権限もない。権限があるのは販売業務部だけだ
--> (リバース2)もしも要件定義のやり方がわからないのであれば,こちらで教える。プロジェクト管理も担当する。必要なら,客観的で明確なドキュメントを作って社長に説明しに行ってもよい(実際には,そんなことは恥ずかしくてできない)
以上のように情報を収集し,話法を構築することで,シナリオを作成していく。そのシナリオを机上で何回もシミュレーションし,相手に勝てるという確信が持てるようになるまでブラッシュアップするのが望ましい。
シナリオを事前に作成しておくことは,交渉を有利に進める準備として不可欠な作業だ。その過程を通じて,「これなら勝てる」という交渉の流れを作り上げることができる。
前回も説明したように,上司や先輩,客先といった「立場の上の人」と部下や後輩,業者などの「立場が下の人」が自然体で交渉すれば,ほとんどの場合は立場の上の人が勝つ。立場が下の人が上の人に勝つためには,相応の準備が必要になる。こうした準備をしておかないと,相手の主張に対してとっさにリバースするのは難しい。
シナリオには,もう一つ大切な役目がある。「情報を収集するための項目を適切に洗い出す」というものだ。たとえば,シナリオで相手が法律を根拠に主張すると想定しているのであれば,リバースするために法律や判例に関する知識が必要になる。
シナリオは交渉全体を制御する台本である。シナリオに出てくる知識項目や事例については,できる限り事前に調べておき,詳しくなっておく必要がある。
(f)シナリオとおりに交渉する
シナリオが完成したら,論点を整理したドキュメントと説得力を高める補助ドキュメントを用意した上で交渉に臨む。シナリオには,相手の反論とそれに対応するこちら側の反論・主張が書いてある。交渉の際には,シナリオのとおりに話し合いを進めていくことが重要だ。
準備をせずに交渉に臨むと,相手の主張につい腹をたててしまったり,知識がないことを隠すために思いもよらない会話をしてしまったりするものだ。シナリオは,交渉が感情的になるのを防ぐ役割も果たす。
ただし,交渉がシナリオのとおりに進まないケースも少なくない。相手が想定外の反論をしてきた,分かってはいても互いに感情的になってしまって話し合いにならない,といった場合もある。
そうした場合に,無理に話し合いを続けるのは禁物だ。シナリオからはずれた形で交渉を続けても失敗する可能性が高く,得策ではない。そのときには,別の日に再度交渉の場を設けるように心がけたい。
(g)交渉を振り返ってブラッシュアップする
交渉が終わったら,新たに入手した情報を追加してシナリオを見直す。特に交渉が不調に終わった場合は,この作業が大切になる。シナリオのブラッシュアップを繰り返していくことで,説得できる可能性を高めていこう。
7つのステップで交渉を改善する
ここまで説明した7つのステップを使うと,交渉はどのように変わるか。先ほどのシステム部の山本主任と事務部門の高山課長との事例で見てみよう。
高山:それでいいと思う。
山本:要件定義では,事務を決める権限を持つ組織が実際の事務を分析して,問題がないことを証明する必要があります。これは当社の規定にも書いてあります。システム部門には,その権限はありません。現在の事務をやっている販売業務部にしか,できない作業です。
高山:確かに職務権限上はそうだよな。システム部門で全部できるはずがない。だから,部門が分かれているんだしな。事務を決める責任は,うちにある…それは分かってはいるんだけど,だがねえ…
山本:販売業務部の皆さんが忙しいのは分かっています。現業も多く,ミスも許されないことも理解しているつもりです。だから,皆さんにどこをやっていただき,どこを我々でサポートできるかを論点として,今日の打ち合わせをさせていただきたいと考えています。
高山:なるほどね…具体的には何をしてくれるのかい?
山本:スケジュールのマネジメントやドキュメントの作成は,システム部門に経験があるので担当します。販売業務部からは,事務経験者で事務に詳しい人を参加させていただくということで,お願いできますか。その部分だけは,専門知識をお持ちの方でないと無理でしょうから。
高山:(そこまでシステム部がやってくれるなら助かるな…)我々も,何もやらないとは言っていない。会社の決めたことだからな。一緒に仲良くやろうじゃないか。
山本:よろしくお願いします。
いま挙げた交渉では何が改善したのかを見てみよう。
合意事項を除外し,論点を絞っている
本日は,前回あいまいだった要件定義の進め方と役割分担を決めたいと思っています。前回は,準備が足りず申し訳ありませんでした。新システムの開発は決定しており,そのための要件定義が必要です。ここまでは合意事項ということでよろしいですね?
論点を絞って,話をしやすくしている。合意している項目は除外していくことで論点を絞ろう。
情報を提供している
要件定義では,事務を決める権限を持つ組織が実際の事務を分析して,問題がないことを証明する必要があります。これは当社の規定にも書いてあります。システム部門には,その権限はありません。現在の事務をやっている販売業務部にしか,できない作業です。
「なぜ要件定義をやらなくてはならないか」の理由を説明している。先方が知らない情報を提供することで,相手の判断をコントロールしているわけだ。その結果,「それなら仕方ない」などと,相手の妥協を引き出すことができる。
相手の感情や言い分に配慮している
販売業務部の皆さんが忙しいのは分かっています。現業も多く,ミスも許されないことも理解しているつもりです。
相手の「できない理由」をこちらから先に話すことで,これ以降に相手が反論(リバース)できないようにしている。自分が反対する理由を相手に先に言われてしまうと,心理的に同じことを言いにくくなるものだ。
妥協案を出している
だから,皆さんにどこをやっていただき,どこを我々でサポートできるかを論点として,今日の打ち合わせをさせていただきたいと考えています。
スケジュールのマネジメントやドキュメントの作成は,システム部門に経験があるので担当します。販売業務部からは,事務経験者で事務に詳しい人を参加させていただくということで,お願いできますか。その部分だけは,専門知識をお持ちの方でないと無理でしょうから。
相手に対して「サポートします」という妥協案(助け舟)を出している。心理面でこのように訴えると,相手は「それでもやらない」とは言いにくくなる。
このような態度をとれば,先方は「要件定義はしなくてはならないが,サポートを得ることができた」といった具合に,今回の話でメリットを感じるようになる。「合意しよう」という心理状態に誘導できたわけだ。7つのステップを使うことで,立場の上の人でも行動させることができることがおわかりだろう。
交渉術については,日経SYSTEMSに「今日から使える現場の説得・交渉術」を連載しているので,併せて参照してほしい。
なお,著者の「人を動かす」をテーマとする書籍「ITエンジニアのための人を動かす9の基礎力と27のエクササイズ」が日経BP社から発売された。著者のエンジニア生活20年,IT教育コンサルタント生活10年の人を動かすノウハウを事例とともに説明している。こちらもよろしければ,お読みください。
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