▼「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなくてはならない」と述べ、大量殺戮(さつりく)を「数の恐怖」としてのみとらえることは許されない、と記した。酷寒と重労働のソ連の強制収容所で、名もない無残な死を見た者の、怒りと鎮魂の筆だったに違いない
▼同じ思いを、新潟県に住む元抑留者の村山常雄さん(83)は行動に移した。死亡した日本人のうち4万6300人分の名前を、11年かけて調べ、まとめた。すべてを載せて一昨年に自費出版した『シベリアに逝きし人々を刻す』は重さが2キロにおよぶ。まさに「紙の碑(いしぶみ)」である
▼様々な資料を突き合わせて、ロシア側資料の奇妙な名も丹念に特定していった。たとえば「コチ・カショニチ」は「幸地亀吉」と分かった。名前とともに生年や死亡日、埋葬地も明らかになっていった
▼どれだけ意味のあることか、と思ったりもしたという。だが、やめられなかった。「無名にされることは存在の否定です。その恥辱で人間をおとしめたのが戦争であり、抑留でした」と村山さんは振り返る
▼8月15日がまためぐってきた。幾多の命が「員数」として果てた戦争の罪深さをあらためて思う。遠ざかる過去だが、今日ぐらいは引き戻したい。生者にせよ死者にせよ、昭和を終わらせられない人が、まだ少なくはない。
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