2009年8月18日火曜日

天声人語 2009年8月18日(火)

「21歳。極致の数字をまだまだ縮めそうな、おそるべき雷光である」と、奇(く)しくも去年のきょう、小欄に書いた。雷光とは、北京五輪の男子100メートルを疾走したジャマイカのボルト選手である

▼その稲妻が、1年ののちに再び駆け抜けた。ベルリンの世界陸上で出した9秒58は、途方もない世界新記録だという。2位になったライバル、ゲイ選手(米国)の談話がいい。「人間がこんなに速く走れることがわかった。残念ながら私じゃなかったが」。脱帽、ということだろう

▼北京では快挙の半面、世界を残念がらせた。勝ちを確信したのか両手を広げて減速してしまったからだ。今度はゴールまで真剣だった。敗れた選手は、わずかな差が、千里を隔てたように遠く思われたに違いない

▼国際陸上競技連盟ができた1912年、世界記録は10秒6だった。以来、人類は1世紀をかけて1秒余を縮めてきた。「たった」と思うか、「よくぞ」と見るか。ならせば年に約0.01秒。ともあれ、水滴が石をうがつような努力の賜(たまもの)だろう

▼人類最速への興味は、車がどれだけ速くても薄れない。一編の詩が思い浮かぶ。〈ふくらはぎ 優しいなまえ 円柱のようにふくらみ静かだ その下のくるぶし 硬い果実のように丸い対偶 夢が仕掛けてあるのだ……〉(「走る人」沢口信治)。最速とは、人体の能力への、最も素朴な憧(あこが)れかもしれない

▼次なる目標は9秒台の前半ということか。専門家によれば可能性はあるそうだ。人類未体験の領域に突き進む、「夢の仕掛けられた足」である。

0 件のコメント: